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SADS 清春と人時(黒夢)は喋らない?実際の関係は?

SADS 黒夢

1991年に黒夢が結成されてから、4年の時を経て、メンバーが清春と人時の2人となった。

1997年から1998年にかけて約230本のライブを開催したり、様々な賞を受賞していたが、2人の不仲説は途絶えなかった。2人の実際の関係はどうなのか?

 

 

インディーズ〜黒夢時代

清春と人時の意外な出会い

黒夢結成前のバンドGARNETで、清春と人時が一緒に活動していたことはかなり有名な話だが、”出会い“の話はあまり語られていない。

清春と人時の出会いはいつなのか?何がきっかけだったのか?これについては、人時がインタビューで語ったことがあった。

人時が初めてバンドを組んだのは高1の夏頃。しかも初バンドではドラムをやっていたそうで。高2で中退した人時は、そのまま働き始めた。

たまたま友達と気晴らしでSUS-4のライブを観に行き、「本気で音楽に関わりたい」と思ったようだ。

交通事故にあったりもしたが、どんどんSUS-4の活動を手伝うようになり、仲が深まった。ちょうどこの頃、清春がSUS-4にボーカルで入ることが決まって、2人の出会いはこの頃であったことがわかる。

それでますます、SUS-4が好きになり、ずっと関わっていたいと思っていた矢先、SUS-4が解散してしまうのであった。

これが、人時が中退し、働き出した次の春先のことだった。

間宮と清春が次のバンドを作ろうとしてて、それが「黒夢」の前身バンド「GARNET」。当時、人時はメンバー候補ではなかったが、間宮が「弾けるじゃん」と言って、メンバーに引き上げてくれたそうな。ここから、清春と人時は本格的に活動を共にすることになったのだ。

 

 

黒夢活動停止復活に至るまで

清春、ライブを沢山やりたかったが

黒夢の活動停止は、「お互いのバンド活動にかける力の%が変わった」と清春は語る。

メジャーデビュー後、結婚をした人時は、家庭を優先したいと言うようになったと言う。だが、清春はライブを沢山したいと思っていた。

その気持ちのギャップから、確執はできた。

その確執は、人時がメディア出演を「家庭を優先したいから」とキャンセルしたことで大きなものとなった。そして活動休止に至った。

活動休止前も話すらしない程仲が悪かったと言う。

そして最高の黒夢に再結成

再結成までの10年間、本当に一度も会っていなかったという2人。ただ不思議と時間が解決というか、「相手が何を考えているのかわからないのに、なぜか距離が縮まっていく感覚があった」と人時は語った。

そして、復活&解散ライブを開催し、再結成にまで至ったと言う。

 

再結成のきっかけになった、この復活&解散ライブは、日本武道館で1夜限りで行われた。

『清春15th Anniversary Presents KUROYUME“the end”~CORKSCREW A GO! GO! FINAL~』と題し、清春のデビュー15周年記念の一環として昨年発表されたもので、ライブ当日は約1万2000人の動員を見込んでいるが、

このチケット購入にエントリーしたファンは定員の約8倍となる10万人となり、チケットの競争率はかなり高いものになった。

実際、ライブのチケットが一般発売されたが1分で完売した。

 

 

清春・人時(黒夢)現在の関係

ファン感激!お互いをお互いがリスペクト

正直なところ、これに関しては未知である。が、人時が清春のことをリスペクトしているのは間違いないだろう。そう思わせてくれる、ひとときのコメントがこちら↓

「僕が勝手に理想と思っているグループの形って、絶対的な存在が1人いるか、全員が同じ立ち位置にいるかのどっちかなんですね。

僕がより魅力を感じるのは前者で、1人のすご過ぎるエースがいて、そこについてきたいと思えるような形態。

だからこそ、清春さんが清春さんのままでいてくれるのはすごく嬉しいんですよ。そういう意味でも黒夢は自分にとって特別なものなので、今後もなるべく特別なままやっていきたいって気持ちにはなりますよね。」

黒夢は特別、と語るその人時の姿に嘘は微塵も感じなかった。

清春にとっても特別なものだろうと思う。

メジャーデビューのきっかけも黒夢だ。バンドというのは、メンバーが減ると人気が落ちる傾向にある。

だが、黒夢は清春と人時の2人になってからの方がむしろ伸びた。そのことを2人とも誇りに思っているのだろう、と感じる。

 

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