ロックバンドSADS

SADS、黒夢との違いを勝手すぎる分析をしてみたら、カッコよすぎた

SADS 黒夢

清春。ロックバンド黒夢、SADSでの活動のほか、ソロのシンガーソングライターとしてのキャリアでも知られる人物だ。黒夢、SADSの活動のなかで核であった清春はなぜ、SADSまで至ったのか?その真髄に迫ろうと思う。

 

デビューから黒夢の経緯

黒夢初期メンバーは4人?

1968年に3人兄弟の長男として生まれた清春は、幼少期、父親に対して恐怖心を抱いていたという。

高校生になったとき、THE WILLARDのコピーバンドに加入した。卒業後は父親の会社を継ぐために、父親の会社に就職する。仕事をしながらバンド活動も継続していたが、バンド活動に専念する為、仕事は1年ほどで退職した。

その後、ダブルベッド→SUS4→GARNETと在籍した。GARNETに所属していた清春は、GERACEEに所属していた臣に「俺がギターを弾いて、お前が歌えば日本制覇も夢じゃない、早く今のバンドを解散しろ」と、誘われ、それに清春が応えたことで結成されたバンドが黒夢だ。

当時、清春と同じGARNETに所属していた人時、鋭葵も加入し、黒夢の初期メンバーは4人であった。これが1991年のことである。

 

バンド名は「眠っていて視界が真っ暗になる状態」「夢を見ていないから真っ黒な夢」つまり「夢がない」「夢は叶わない」という意味である。

これは黒夢結成当時周りのヴィジュアル系のバンドのほとんどが「幻想」「幻覚」「刹那」といったものをテーマとして取り上げていた事に対して「そういう事は全て御伽話だよ」「夢ばかり見てないで現実を見なよ」という尖ったものだった。

そして25歳の頃、黒夢でメジャーデビューを果たした。

 

 

 

SADSデビュー経緯

何人だろうと俺たち(黒夢)はバンド

結成翌年の6月にドラムの鋭葵が脱退し、約1年後、HIROが加入するも3ヶ月で脱退。

同年、X JAPAN YOSHIKIのインディーズレーベル『EXSTASY RECODS』から誘いを受け、その話を受けたが同週に、ソニーと東芝からメジャデビューの話がきた為、『EXSTASY RECODS』からの誘いを断った。

翌年1994年の2月、東芝からメジャーデビューをした。

 

黒夢数々の功績

そのちょうど一年後の95年2月。

アルバム収録中にも関わらず、黒夢の発端である臣が失踪し、

そのまま脱退した。

メンバーが2人になったが、メンバー補充はせずに活動を継続し、『音楽ユニット』と紹介されることが増えた。

が、

「何人だろうと、俺たちはバンドです」と言い続けた。

95年には、日本ゴールドディスク大賞ベスト5アーティスト賞を受賞し、サードアルバムの『feminism』はオリコン初登場1位を飾った。

 

黒夢の解散原因が意外

96年には、『ピストル』がMTV Video Music Awards視聴者賞の日本部門を受賞した。

97-98年にはライブを約230本行ない、結果としては順風満帆のトップバンドと思われたが、メジャーデビュー以降、人時が結婚を機に「家庭を優先したい」と言い始め若干の確執があった。

メディアへの出演も家庭優先、とキャンセルした事により確執は悪化し、黒夢は解散に至った。

黒夢の解散が決まり、ボーカルの清春は「バンドをやろう」と思い、SADSの結成に至る。

坂下たけとも(SADSの初期ギタリスト)は黒夢の最後のツアーで一緒に回っていたこともあり、「黒夢終わっちゃうんだけど、一緒にやらない?」と声をかけた、とSADS結成時のインタビューで清春は語った。

 

 

清春ソロ活動

洗練された清春のソロ活動

2003年にSADSの活動を休止し、同年夏からメジャーデビュー10周年の一環としてソロ・プロジェクトが始動する。

同年10月30日にショートフィルムという形で「オーロラ」のPVを収録したDVDを発売する。「清春」名義としては実質初のリリースであった。

2004年に入り、デビュー10周年の日となる2月9日にファーストシングル「EMILY」を発売し、4月9日にファーストアルバム『poetry』が発売される。

同アルバムは「10周年のご褒美」 ということで、L’Arc-en-Cielのギタリストkenや、MORRIEといった錚々たる人物がレコーディングに参加している。

2008年はメジャーデビュー15周年を迎える節目の年となった。

清春の歌を歌う原点

そのため、15周年を祝う様々な企画が行われた。

当初は2007年度と同様にマンスリーライブを行い、アコースティックアルバムを発売する予定であったが「歌を歌うという原点に立つ」という清春の姿勢により、

これまでのバンド形態での演奏やアコースティックライブとも異なる、新しいスタイルで公演を行うことになる。

「Monthly act – rhythmless & perspective live (当初のbase of melancholyから改称)」と名づけられて行われライブでは、ドラムとベースが取り除かれ、ヴァイオリン、チェロ、マニピュレーターを取り入れ、背景に映像を流してライブが行われた。

これまでのバンド形態での演奏のようにノリや熱気で場をやりこめる雰囲気とは一線を画し、必然的に歌が際立つ構成となる。

そのため、これまで以上に歌うことへの集中力が払われ、清春本人も「曲数は少ないがいつもより疲れる」と語った程である。

2009年、黒夢解散前日の1月28日には黒夢のセルフカヴァーアルバム『MEDLEY』が発売された。この時にエイベックスに移籍した。

 

 

 

解散前のSADSが最高にかっこいい!!

SADS最高の締めくくり

2003年に1度目の活動休止をしたSADSが、2010年に活動を再開したが、2018年に再び活動休止を発表した。

当時、「また一時的な休止なのか?」「本当の解散なのか?」とファンやメディアを騒がせた。SADSは公式Twitterを開設しており、解散の報告もこのTwitterで2018年6月21日に行われた。

「サッズからお知らせとなります。新体制による再始動7周年を迎えました今年2018年をもって活動を休止致します。1999年のデビュー以来約20年間、支持して下さったファンの皆様に感謝致しております。」

 

その後発売されたラストアルバム「FALLING」と、そのリリースツアーに対しても「最後の宝物」と表現された。

このことから一時的な休止ではなく、本当の解散と認知が高まった。SADSは日本での正式なデビュー前にUKでライブを4公演すると異例のスタートを切ったことでも注目を集めていた。

ライブで始まったSADSがライブで終わるというのは、SADSらしい最高の締めになったのではないだろうか。

 

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